アイルランド音楽は、商業レコードの黎明期の78回転SP盤にアイルランド人のフィドラーが残したものと、LPおよびCD時代に入ってからと大別できる。前者に関しては20世紀初頭にアメリカに渡ったマイケル・コールマンの録音が、スライゴー地方の演奏スタイルを広める結果となった。後者に至るとアメリカのバンジョーやギリシャのブズーキといった楽器が取り入れられたが、アイルランド音楽が持つ豊饒性に変わりはない。ロック歌手ヴァン・モリスンが伝承音楽に回帰したのは特筆に値する。沖縄を例外として、地域の民謡や、雅楽や謡曲、浄瑠璃などの邦楽が大衆音楽の根っこになっていない日本とは対照的である。
マイケル・コールマンは1891年にアイルランドの南スライゴー郡キラヴィルで生まれた。父のジェイムズは横笛吹きとしてこの地方では有名だった。少年マイケルはダンスとフィドル演奏に興味を持つ。フィドルは近所のフィリップ・オブライエンとPJ・マクデルモットの影響を受けている。長兄のジムもフィドルの名手だったが、残念ながら録音は残っていないようである。1914年に米国へ移住、やがて彼のスライゴー・スタイルによる華麗なフィドルが一世風靡するようになる。今日ではアイリッシュ・フィドル=スライゴー奏法という図式になっているが、それはひとえにマイケルの魔術的奏法の影響といって差し支えない。偉大なる天才が残した貴重な伝承音楽であるが、8曲がこのCD初出であることは特筆に値するといっても良いだろう。ニューヨークの病院でこの世を去り、同市ブロンクス区の聖レイモンドの墓地に埋葬された。54歳だった。
タイトルはジェイムズ・モリソンの演奏曲からとったものだが「マイルストーン」というのは石で作られた道標のこと。日本では「一里塚」がこれに近い。このCDは78回転のSP盤からの復刻盤で、25曲が収録されている。録音は1920年代から50年代で、それぞれの地域のフィドラーを横断的に広く網羅している。いずれも歴史的に著名なミュージッシャンたちで、例えば上記のジェイムズ・モリソンは20年代初頭にニューヨークに渡ってレコーディングアーティストとして成功した人。同じくスライゴー出身のマイケル・コールマンもアメリカで名を上げたフィドラーで、後のアイリッシュフィドルシーンに多大な影響を与えた巨人である。アメリカの南部山岳地帯のヒルビリー音楽もそうだったのだが、黎明期商業レコードが結果的に伝承音楽を記録したことになる。アイルランド音楽愛好家必携の一枚だろう。
アメリカの商業レコード会社やラジオ局が最初に目をつけたのはいわば市井の演奏家たちだった。ヒルビリー音楽のフィドリン・ジョン・カーソンやカーター・ファミリー、ミシシッピ・デルタ・ブルースのロバート・ジョンソンなどなど。そしてアイルランド音楽の花形楽器ともいえるフィドルに関しての先駆者はマイケル・コールマン、ジェイムズ・モリソン、パディー・キロラン、そしてヒュー・ガレスピーの四人だったが、最初の三人はスライゴーからアメリカにやってきたフィドラー。ヒュー・ガレスピーはドネゴール出身だったが、スライゴー地方の演奏スタイルの影響を受けている。この復刻CDアルバムは1922年と1951年の間に録音された78回転レコードの復刻盤だが、上記四人を含めたフィドルの「マスター」たちを網羅している。ほとんどがピアノ伴奏で演奏しているが、アコーディオンやフルートなども含まれている。モアート・バンドがアメリカ生まれのバンジョー・マンドリンを使っているのは興味深い。マイケル・コールマンの "Bonny Kate" は何度聴いても聴き飽きない名演奏である。収録曲は25曲。75分が短かい。
アメリカに移住したアイルランド人たちはそのコミュニティを作り上げるが、それは商業レコードの大きなマーケットになる。フィドルの天才マイケル・コールマンなど、新天地に移住したミュージッシャンたちは夥しい数の録音を残すことになった。特筆すべきは、商業化に伴い、当時のアメリカ音楽の諸要素が混入したことだ。驚くべきことに、例えばフラナガン兄弟はテナーバンジョー、そしてサクソフォンの伴奏をつけている。そして重要なのは、これらの試みがその後の本国の音楽に大きな影響を与えたということだ。逆にいえば、アメリカすなわち移民の音楽を逆輸入したことが今日のアイルランド音楽の一源流となったという歴史的事実だ。伝統と現代という大きなテーマを考察する格好の素材である。このコレクションは1973年にリリースされたフォークウェイズのLPを原典としたもので、1922年から25年間にわたってアメリカで録音されたアイルランドのダンス音楽集。全部で24曲が収録され、曲ごとに懇切丁寧な解説が記されている。
20世紀初頭に出現したレコードとラジオは新たな娯楽メディアとして急速に普及します。アメリカの商業レコード界でアイルランド音楽が黄金時代を作ったのは、多くの人々がこの大陸に渡ったからという背景があったのだろう。その黎明期においては、伝承音楽の原型が残り、今ではたいへん貴重な歴史資料となっている点は見逃せない。このCDはアイルランド音楽の真髄ともいえるダンス音楽を集めたものだ。イレアンパイプのパトリック・J・トウヒー(1865~1923)、コンサティナーのウィリアム・ムラリー(1884~195?)、フルートのジョン・マクケーナ(1880~1947)、フィドルのジェイムズ・モリスン(1893~1947)などの演奏が収録されている。ジョン・マクケーナのセッションにはバンジョーのマイケル・ガフニーが加わっている。フラットピッキングによる四弦バンジョーと想像されるが、アメリカ固有の楽器を取り入れることによって、新しいアイルランド音楽を模索した気運が窺えて興味深い。ジェイムズ・モリスンのフィドルによる流麗なオブリガードのバックでニール・スミスが歌うワルツの名曲 "When Irish Eyes Are Smiling" は余りにも美しい。
1921年から1959年にかけてレコーディングされたアイルランド音楽のヴォーカルと楽器演奏のコレクション。録音はニューヨーク、ダブリン、ロンドンで98回転SPからCDに復刻されたものだ。一番古いのはスライゴー出身のマイケル・コールマンのセッションで、1921年10年、ニューヨークとなっている。RCAのラルフ・ピアがテネシー州ブリストルで収録したカントリー音楽のセッションが1927年であったことを考えると、レコード会社がいち早くアイルランド移民社会に注目したことがわかる。上記コールマンやジェイムズ・モリソンなどの名フィドラーの演奏のほか「パイプの王者」と冠されたレオ・ロウサムのイレアンパイプ、女性歌手デリア・マーフィーの素晴らしいヴォーカル、トム・モリソンのフルート、エレノア・ケインのピアノなどを堪能できる。彼らの多くが移民としてアメリカの土を踏んでいるが、ピーター・ジェイムズ・コンロンのアコーディオンソロがバンジョーをバックにしている点がそのことを象徴している。ダン・サリバンズ・シャムロック・バンド演奏の1曲目がアルバムタイトルになっているが、ゴールウェイ発ダブリン行きの列車を扱った歌。機関主の声や汽笛を織り交ぜた録音はカントリー音楽で流行った趣向に通ずるものがある。
マイケル・ゴーマン(1895-1970)は、同郷のマイケル・コールマンと同様、伝統的なアイリッシュフィドルの重要人物だったといえる。タイトルに謳われてるようにスライゴー地方のフィドルチャンピオンであった彼は "The Mountain Road" の作曲者としてもよく知られている。2枚セットのこのCDは78回転のSP盤復刻も含め、なんと全57曲、再生には2時間以上もかかる。初期の録音では彼の甥マイケル(フルート)、弟マーティン(ヴォーカル)、隣人トム・ガノン(フィドル)、およびゲリー・ウィムシー(ティンホイッスル)などが共演。晩年はロンドンでアイルランド音楽普及に貢献したが、これにはミック・フリン(フルート)、マーガレット・バリー(ヴォーカルとバンジョー)、ジミー・パワー(フィドル)、パディー・ブリーン(フラジョレット)、トミー・マグワイア(アコーディオン)およびパッティー・ゴールディング(ピアノ)が加わっている。いわばゴーマンの録音の集大成だが、編纂したレグ・ホールのライナーノーツは55ページに及ぶ大作で、これには圧倒される。しかし音楽はときに言葉による解説を要しないものだ。フィドルのソロあり、ヴォーカルあり、セッションありと多彩で飽きない。
ジョンとジェイムスはふたりともダブリン生まれだが、父親のジョン・ケリー・シニアは西クレア地方でよく知られたフィドラーだった。従ってふたりはクレア・スタイルの奏法を継承している。同じく西クレアのイレアンパイパーであるミカエル・クラハンとフルートのミカエル・ガヴィンが加わり重厚なセッションを実現している。70年代のレコーディングだが、息の合った兄弟がアイルランドの伝承曲を、ツイン・フィドルならではのエキサイティングで迫力ある演奏で楽しませてくれる。
ドネゴール地方はアイルランド島の北西端に位置する。このCDは1991年1月18~19日にコーク大学が主催してドネゴールで開催された「フィドルスティックス・フェスティバル」のライブ録音。参加したのはドネゴール地方と英国シェットランド諸島のフィドラーたちで、ドニゴール奏法の演奏を中心に編纂されている。もともとこの地域は英国との関係が深く、シェットランド諸島のフィドラーが加わっているのはうなずける。この地域の奏法を一口で要約するとテンポが速く軽快で、いわばアグレッシブといえそうだ。演奏家ではリズ・ドハーティの名がよく知られている。幅広いジェネレーションの演奏家が一堂に会した貴重な記録で、他の地域、例えばスライゴー地方の演奏スタイルなどと比較する上でも大いに役立つ1枚。最後の大セッションは迫力満点で聞き応えがある。フィドルスティックスは直訳すればヴァイオリンの杖となるが「おばかさん」という意味が隠されている。ジャケットのイラストがお洒落だ。
ロンドン生まれだが、両親の故郷であるアイルランドのスライゴー地方のフィドル奏法の影響を受けながら、独自のスタイルを築き上げたプレーヤーとして知られている。彼が初めてアメリカを訪問した1972年にニューヨークの "Meadowlands Recording" が録音、後にモーゼス・アッシュによってフォーク系名門レーベルであるスミソノアン・フォークウェイズから復刻されたもの。ソロのほかに、アメリカのフォークミュージッシャンとのセッションも含まれている。バンジョー、マンドリン、ギターおよびオートハープといったアメリカ特有の楽器が加わっているが、違和感はない。これはアイルランドの伝承音楽がアメリカのフォークミュージックの源流であることを示唆していて興味深い。その後ウディ・ガスリーの息子アーローのLPアルバム "Last of the Brooklyn Cowboys" にフィドラーとして加わったりしたが、これらの演奏活動はその後のアイルランドのトラディショナル音楽シーンに大きな影響を与えたのではないだろうか。
ケヴィン・バーク15年ぶりのソロアルバム。このライブはオレゴン州ポートランドで1998年に収録された。録音機材はアイルランド屈指のフィドラーのひとりであるマーティン・ヘイズが持ち込んだものらしい。当然のことながらこのふたりのツインフィドルを聴くことができるし、ダブリンのギタープレーヤーであるエイダ・ブレンナの伴奏も素晴らしい。セッションも楽しいが、やはり彼のソロをたっぷり聴けるのが何よりも嬉しい。無伴奏はときに退屈と思われがちだが、素朴な伝承スタイルを堪能できる点で見逃せない。"Bothy Band" から "Patrick Street" へと多彩なバンド活動をしてきたケヴィンだが、原点への回帰といえる。
ケルティック・フィドル・フェスティヴァルはケヴィン・バーク、スコットランドのジョニー・カニンガム とフランスのクリスチャン・ルメートルが1992年に結成したフィドル・セッション・グループ。ジョニー・カニンガムはスコットランドのポートベロで1957年に生まれ、1980年代にアメリカに移住した。クリスチャン・ルメートルはブルトン音楽グループ "Pennou Skoulum" および "Kornog" のメンバーとしてよく知られている。1993年盤は前年のツアーのライブで、ジョン・マクガバンの素晴らしいギターが加わっている。フランス語の "Rendezvous" (ランデブー)がついたアルバムは彼らの3枚目のCDだが、文字通りケルティックフィドルの「ビッグスリー」が一堂に会した感じだ。スタジオ録音によって、ライブとはまたひと味違った違った精緻さが窺える。スローテンポの曲に深い洞察が加えられている。
聖パトリックの名を冠した通りがアイルランドにはたくさんあるが、その通り名をバンド名にしたアイリッシュ・ミュージック界のスーパーグループで、1986年に結成された。メンバーはケヴィン・バーク(フィドル)、アンディ・アーヴァイン(ヴォーカルとブズーキ)、ジャッキー・ディリー(アコーディオン)そしてアーティ・ミッグリン(ギター)の4人。アイルランドの伝承音楽は本来フィドルやイレアンパイプ、ハープといった楽器を使ってきたが、ここではギリシャのブズーキがなくてはならない存在になっている。民謡復興運動とともに新たな展開を見せ、世界にそのその存在をアピールした画期的グループといえるだろう。ケヴィン・バークの華麗なフィドリングはソロとはまた違った醍醐味で、十分堪能できる。
フィドルのアンディ・マクガンは、1929年ニューヨーク生まれだが、2004年7月に他界している。享年75歳だった。1935年にフィドルを始めたが、スライゴースタイル・フィドリングの巨星マイケル・コールマンに出会っている。父親がマイケルに教えてもらうように頼んだが、初心者に教えることに興味を示さなかったそうだ。レコードの公式デビューは37歳になってからで、ゴールウェイ出身のジョー・バーク(ボタン・アコーディオン)、ニューヨーク生まれのフェリックス・ドラン(ピアノ)とのセッション。米国のケルト音楽専門のレーベルであるグリーンリネットから "A Tribute to Michael Coleman" というタイトルでリリースされた。従ってこれは同じコンビによる二枚目のアルバムということになる。相棒のジョー・バークとのセッションは軽快にして絶妙で楽しい。
ボタン・アコーディオンのトミー・マグアイヤーとの共演によるリズ・キャロルのファーストアルバム。ピアノ伴奏はジェリー・ウォーレイス。リズは1956年シカゴ生まれだが母親はアイルランドのリムリック、父親はオファリーの出身だ。9歳からフィドルを始めたが、アイルランド音楽家協会のセッションに両親がしばしば彼女を連れて行ったようだ。トミーは1973年オファリー生まれだが、母親がメロディオン、父親はフィドルを演奏するという環境に育っている。ふたりのコンビネーションは精緻にして軽快なハーモニーを醸し出している。
ブライアン・コンウェイはリズ・キャロルと同じくアメリカで生まれ育った。長期間アイルランドで過ごした経験のない彼の奏法は「スライゴー・ニューヨーク・スタイル」とも呼ばれている。最初の師はリムリックからやってきたマーティン・ムルヴィヒルでした。そしてスライゴー出身のマーティン・ウィンの大きな影響を受けている。そして後に彼は偉大なるアンディ・マクガンとの知故を得ます。いわばアメリカにおけるアイルランド音楽コミュニティから培養されたスピリットが彼を大きく成長させたといえる。単に模倣ではなく独自のスタイルを確保したゆえの成功だろう。マーク・シモスのギター、フェリックス・ドランのピアノによる伴奏が好ましい。30ページに及ぶ解説はスミソニアン・フォークウェイズらしい伝統といえる。
ケイリー・トレイルは「スコットランドやアイルランドの歌と踊りと物語りの夕べの道」という意味。カナダのノヴァ・スコシア州ケープ・ブレトン島の西側を走る「ルート19」を指すが、悠久の歴史に培養された豊かなケルト文化を今に伝える街道だ。特にフィドル音楽が有名で、10月には島あげての音楽フェスティバルが開催され、多くのファンが世界中から訪れる。このCDはスミソニアン・フォークウェイズが2000年に、この島のあちこちで開かれたコンサートをライブ録音したものだ。ケープ・ブルトンのりールやジグなどのダンス音楽は激しくダイナミックだ。ケルトの鼓動がみなぎった、そのエネルギーに圧倒される。
コルノグはフランスのブルターニュ地方のブルトン音楽を代表するグループだ。ブルトン音楽はアイルランドとブルトンのふたつの興味ある融合スタイルだが、コルノグはさらに新たなアレンジを加えたという点で特筆すべきだろう。ブルターニュの伝承音楽にスコットランドの音楽をも取り入れている。それはリーダーのジェミー・マクメネミー(ヴォーカル、ブズーキ、マンドリンとローウィッスル)がスコットランド出身ということに起因している。ブルターニュに移る前に "Battlefield Band" で3年間演奏、ブルトン・グループ "Djiboudjep" に2年間加わった後、1981年の5月にコルノグを結成した。彼が使うブズーキは元々はギリシャの楽器で、アンディ・アーヴィンがアイルランドに持ち込んで広まったものだという。もうひとりのメンバーでクリスチャン・ルメートルは1992年にケヴィン・バークらと「ケルティック・フィドル・フェスティバル」を結成したことでも知られている。ブルターニュは民族移動と文化の異種交流の嵐から逃れることができた地域である。従ってその特殊性を長い維持できたのだが、斬新でスリリングな音楽手法を導入、そこに新たな風とメソッドを混入したのである。
ダブリナーズの歴史は長い。彼らのスタートは1962年、"Drew Folk Group"というバンド名でダブリンのパブでデビューした。同時代にヴァン・モリスン率いるゼム、ビートルズ、ボブ・ディランなどが活動を開始している。オリジナルメンバーはロニー・ドルー(ギター)、リューク・ケリー(五弦バンジョー)、バーニー・マクキーナ(テナーバンジョー、マンドリン&メロディオン)、シアラン・ボーク(ギター、ティンホイッスル&ハーモニカ)。1964年にはジョン・シェアハン(フィドル・他)が加わるなど、メンバーに変動があった。楽器編成から推測できるように、バンジョーをフィーチュアーして、アイルランドの伝承歌謡に新たな味付けをしたことに特長がある。ブレイクしたのは1967年、"Seven Drunken Nights" をビートルズ、ママス&パパス、ザ・フー、ジミ・ヘンドリクスなどが争うように取り上げたからだ。この曲で一挙にメジャーバンドになったといえる。その後の彼らの足跡は記述するまでもないだろう。80年代末に一旦リタイアしたが、1992年には創立30周年記念を祝ったし、1995年12月には "Dirty Rotten Shame" をリリースしている。アイルランドとスコットランドの多くのバンド、例えばチーフタンズ、the Pogues、U2、オシアンなどが輩出する道を拓いた偉大なる、ビッググループである。このCDは1988年にリリースされたもので、19曲が収められている。
チーフタンズはダブリンのイーリアンパイプ奏者パディー・モロニーがフィドルのマーティン・フェイなどに呼びかけて創設したグループ。クラッダー・レコードのディレクター、ジョン・モンターグが書いた詩「首領の死」にバンド名は由来するという。1963年にLPアルバムを出したが、伝統的なアイルランド音楽に新しいフォークムーブメントのアプローチを取り入れたもので、ピーター・ポール&メアリ、ダブリナーズ、クランシー・ブラザーズなどからの影響が窺える。3枚目のアルバムがリリースされたのは1971年だが、伝承音楽への新しい解釈がピーター・セラー、ミック・ジャガーやマリアンエ・フェイスフルなどに知るしめることになる。この年パディー・モロニーがポール・マッカートニーのソロシングルに参加している。その後チーフタンズは次第にその名を広めていったが、世界的に知られるようになったのは1988年にリリースされたヴァン・モリスンとの共作 "Irish Heartbeat" だろう。そして1992年にはウィリー・ネルソンやエミルー・ハリスなどを迎えての "Another Country" によって、アメリカンルーツ音楽のまさに根っこがアイルランドにあることを再認識させた。そして1995年に発表されたこのアルバムがロックを含めた音楽ファンを驚愕させることになる。オープニングはスティングのゲイル(アイルランド)語による "Mo Ghile Mear (Our Hero)" だ。シンニード・オコーナー、ヴァン・モリスン、マーク・ノップラー、ライ・クーダー、マリアンヌ・フェイスフルとビッグが次々と登場する。トム・ジョーンズの熱唱「テネシー・ワルツ」で最高潮に達し、それはローリング・ストーンズとのセッションに引き継がれてゆく。必携の一枚とはこのようなアルバムを指すのだろう。
主題の「ケルトの発展」から副題の「伝統を越えて」が続く。アコースティック楽器編成の素朴な演奏から電気楽器を駆使したプログレッシブ・ロックまで、文字通り現代のケルト系音楽を集大成した二枚組のオムニバス盤。ノレイグ・ケイシー&アーティ・マクグリンのノリに乗ったビートの "The Trip to Tokyo" から一転して、ケヴィン・バーク率いる「パトリック・ストリート」の演奏に移るなど、一見落差を感じさせるようだが、不思議なことに大きなうねりの連続性は保たれている。ケルト音楽がブレイクして久しいが、彼らが連綿たる歴史の中でいかに豊饒な音楽の民であったかを知らしめ、その真髄を結集して聴き応えがある。
ヨーロッパの辺境アイルランド島に追いやられたケルトの民の歴史は苦難に満ちている。1845年のジャガイモ飢饉は多くの犠牲者を生み、そして多くの人々が故国を去ることになる。そして150年後の1997年にディズニーはTV番組 "The Irish america - Long Journey Home" を制作、翌年に放送したが、このCDはそのオリジナル・サウンド・トラック盤である。このドキュメンタリー番組の音楽担当はチーフタンズのリーダーであるパディ・モローニ。文字通りアメリカへの長い旅から回帰したロック・シンガーの巨人ヴァン・モリスン、アイルランドの人気歌手メアリー・ブラック、ブルーグラスから音楽に入ったヴィンス・ギル、ダブリン出身のロック歌手シネイド・オコーナなどが参加している。フィドルはニューヨーク出身のアイリーン・アイヴァーズが担当している。新大陸に渡ったアイルランド人の深い悲しみが凝縮されて刻まれている。
チーフタンズがエミルー・ハリス、ウィリー・ネルソン、チェト・アトキンス、リッキー・スキャグスなどをゲストにカントリー音楽の本拠地テネシー州ナッシュビルで録音したアパラチア&アイリッシュ伝承曲集。映画『歌追い人』にも描かれていだが、アパラチア山系に移植した人々は本国の古謡を伝承し、セシル・シャープなどの英国の民謡収集家を驚愕させた。20世紀に入り、ラジオやレコードの出現でこれらのルーツ音楽はアフリカ系アメリカ人などの音楽を融合させながらカントリー音楽を形成してゆく。一方同時にニューヨークなどの都会のアイルランド移民社会の中で故国の音楽の商業化が進んだ。アイリッシュ・フィドル伝説の鬼才マイケル・コールマンもアメリカで開花し、その奏法が逆輸入された。またバンジョーやフラットマンドリンなどアメリカ特有の楽器がアイルランド音楽に入り、やがて本国の音楽に伝播する。しかしながらあくまでそれぞれが独自の様式を保ちながら進化する。そしてこのふたつの潮流の合流を試みたのがこのアルバムなのである。カントリー音楽のスタンダードナンバーである "Wabash Cannonball" "Will the Circle Be Unbroken" などがイレアンパイプやフルートなどをバックに演奏され、見事にアイルランド化されている。まさに移民の音楽が本国に回帰したのである。
ソーラスはマルチプレーヤーのシェイマス・イーガンが1994年頃に結成したアメリカン・アイリッシュ・トラッドバンド。拠点はアメリカだがメンバーのほとんどがアイルランド生まれだ。1996年にアルバム "Solas" をリリースして以来、ケルト音楽ブームに乗って破竹の勢いでファンを獲得してきた。このCDは彼らの5作目で、ヴォーカルがカラン・カーシーからディアドレ・スキャンランに代った。他のパーソネルはリーダーで何でも屋のシェイマス・イーガン(フルート、バンジョー、ホイッスル、マンドリン、ギター&ピアノ)、そしてウィニフレッド・ホーラン(フィドル、ヴィオラ)、ミック・マッコウリー(アコーディオン、ホイッスル)、ドナル・クランシー(ギター、ブズーキ)で、デイヴ・ウェスト(キーボード)などのゲストが加わっている。ボブ・ディランの "Dignity" なども含まれているようにアメリカ音楽を内包しながら、前進的ケルトの色彩で色付けをしている。ディアドレの魅惑的な歌にウィニフレッド・ホーランの繊細な音色のフィドルが重なり、絶妙な音楽的空間の醸造に成功している。スティングやポール・マッカートニーの作品を手がけたプロデューサー、ニール・ドーフズマンの手腕も大きいだろう。今あるべき創造的なケルト音楽の姿がここにある。
スロバキアのちょうど北、ポーランドのタトラ山脈はネイティブ・フィドル音楽の宝庫だ。そして彼らはgorale(山の人々)と呼ばれている。このCDは同山脈から移住したカロル・ストッチのバンドのレコーディングがソースとなっている。録音は1928~29年、シカゴで行われた。ポーランドで一般的なワルツ、ポルカが省かれ、2/4拍子のローカル舞曲形式の曲が展開する。フィドルとチェロのコンビネーションが特質で、ビートがやや外れたリズムに興味が注がれる。規則的なリズムがボーカルになるとよろめき、失速してしまうのだ。そのボーカルは他の文化の山岳音楽同様ピッチが高く、テンションが上がると「絶叫」に至ってしまう。フィドルは長いギザギザ音を繰り返すが、そのスタイルは他の東ヨーロッパの奏法を彷彿とさせるが、ジプシー音楽ほどの灰汁の強さはない。しかし本国では失われただろう伝承音楽をポーランドの移民が貴重な記録をしたことになる。