Legend

伝説のフィドラー
イニシェモア島
Inishmore, Aran Islands
マイケル・コールマン(1891-1945)
マイケル・コールマン(Michael Coleman)は1891年1月31日、北西アイルランドのスライゴー郡キラヴィルで生まれた。父親のジェイムズは隣のロスコモン郡出身の小作農であった。ジェイムズは優れたフルート奏者で、彼の家には音楽の才能に恵まれた人々が集まったようだ。7番目の子どもだったマイケルはステップダンスとフィドルに興味を抱く。フィリップ・オブライン、P.J.マクダーモット、ジョン・ドードなど、近隣のフィドラーに影響を受けた。録音は残っていないが、長兄のジムも卓越した奏者だったらしい。1908年に学校を卒業した彼は音楽活動に没頭する。そして1914年10月、友人ジョン・ハントとアメリカに向けて出帆する。ニューヨークに着いた彼はキース劇場所属の旅回りの役者となって米国の各都市を巡った。そして1921年にシャノン・レーベルで最初の録音を行う。1920年代から30年代にかけておよそ80曲を残したのである。1944年に多数の録音をしたが、これらはいまだにリリースされていない。コールマンの録音は後のミュージッシャンに多大な影響を残し、多くの模倣者を生み出した。故郷スライゴーの名がフィドル奏法の代名詞になっているくらいだ。1945年1月4日、ニューヨークの病院で54歳の生涯を閉じた。
YouTube The Tarbolton reel / The Longford Collector / The Sailor's Bonnet
ジェームズ・モリソン(1893-1947)
ジェームズ・モリソン(James Morrison)は奇しくもマイケル・コールマンと同じ年の1891年5月3日、スライゴー郡リヴァースタウンの近くで生まれた。伝統的なアイルランドの文化、特に音楽に包まれたコミュニティに育った彼は、17歳のとき、コノート地方のスタイルのダンスステップを教えるため、ゲール語連盟に雇われた。1915年、21歳のときに、彼がアメリカへ移住し、ニューヨークに定住することになる。1918年にフィドル・コンテストで受賞、マイケル・コールマンやパディ・キロランといったスライゴー出身の音楽家と親交を持つようになった。最初の録音は1921年で、ヴォカリオンやオーケーレコードに軌跡を残している。1926年の3月、ピアニストのクレア・リアドンと共演、コロンビアでの最初の録音となった。フィドルのほか、フルートやボタン・アコーディオンの演奏にも長け、1930年代から40年代にかけて若いアイルランド系アメリカ人の学生に教えた。音楽教師の一人として名を馳せ、人々は彼を「教授」と呼ぶようになったのである。
YouTube Dunphys Hornpipe / Flowers Of Ballymote
Irish Fiddle Girl
Fiddle Musuc