History

悪魔の箱の物語
L to R: Jack Makem (pipes), Tommy Makem (piccolo) and Peter Makem (fiddle). ca.1954
From Tommy Makem and the Clancy's website

弦を弓で擦って音を出す、いわゆる擦弦楽器の起源に関しては諸説があるのですが、ブリテン諸島に現れたのは紀元前数百年、クリュース(crwyth)というハープを原型にしたものといういわれています。しかしながらこの楽器が歴史の中でいつまで受け継がれたかは不明です。一般に擦弦楽器はアジアの騎馬民族によってヨーロッパにもたらされ、各地方の民族楽器として浸透し、その後地域ごとに多種多様な発展をし多くの楽器群が出現したというのが定説のようです。フィドル(fiddle)とヴァイオリン(violin)は今日では楽器としては全く同じものを指しますが、本来フィドルのほうが歴史が古く、ヨーロッパにおいてはレベック(rebec)あるいはレバブ(rebab)などを経てヴィオール属、ヴァイオリン属の楽器に変遷したといわれています。16世紀にほぼ完成されたスタイルで突如出現したイタリアのヴィオリーノ(小さなヴィオラ)がヴァイオリンです。似たような楽器でしたがネックが丸く単音を弾けるようになったことなどから、ヴァイオリンがフィドルにとって代わります。

Fiddler in the Burg
Derry, Co. Derry

そしてフィドルという言葉自体は、クラシック音楽のヴァイオリンと区別する形で、民族音楽系の総称になります。アイルランド音楽ではいろいろな楽器が使われていますが、昔から使われてきた楽器は、フィドルとイリアンパイプ、それにハープの3種類です。ヨーロッパではケルト系のアイルランドやスコットランドの、そして東欧系のロマ族すなわちジプシーのふたつ奏法に大きく分けることができるでしょう。アイルランドからの移植者がアメリカに持ち込んだフィドルはカントリーやブルーグラス音楽の花形楽器になります。ちょっと扇情的な響きがするからでしょうか、フィドルはときに「悪魔の箱」とも呼ばれます。それではそのフィドルはいつごろアイルランドに伝わったのか。ロビン・ウィリアムソンの「イングランド、ウェールズ、スコットランドおよびアイルランドのフィドルチューン」にそのバックグラウンドが記述されています。

Folk Dance at Ulster Amrican Folk Park
Ulster American Folk Park

フィディル(fidil)という言葉がアイルランドの詩 "Fair of Carnan" に現れたのは8世紀ごろ。そして次に十字軍の時代(1096-1291)に現れたのが冒頭に上げたレベックです。別の資料としてアイルランドの放送ジャーナリストのフィオヌアラ・ウィルソンさんがアルスター・スコッチ協会のサイトにちょっと注目すべき論文を寄せています。彼女は1989年、アルスターの大学で音楽を勉強する間にアントリムで録音を含めたフィドルに関するフィールドワークをしています。論文の中で彼女は、現在とは形や大きさが違うだろうが、この地域にフィドルあるいはフィドラ(fidula)が11世紀に入ったと書いています。フィドルあるいはフィドラがすぐに引っ張りだこになった理由としてダンスからの希求であったという説明は説得力があります。それまでのパイプより息切れせずに長い間演奏できたからだというのです。

Fiddle Lesson
Kilfenora, Co. Clare

英国の支配によって苦しめられたアイルランドの農民にとって、ダンスが最大の愉しみであったことは容易に理解できますし、フィドルが急速に普及した点も容易に理解できます。製作技術の向上により安価で手に入るようになったこと、そして比較的小型の楽器だったので、持ち運びに便利だったことも大きな理由になったと想像されます。ジャガイモの収穫期には労働者が行き交い、スコットランドとの曲目の相互伝播も盛んになったようです。フィドルが農民にとっていかにポピュラーな楽器であったということは、アメリカ近代絵画のジョージア・オキーフの伝記からも伺い知ることができます。彼女の父親はアイルランドの小作農で、アメリカに入植してからもフィドルを手放すことはなかったようです。

Street Musician in Dublin
Dublin

アイルランドのダンス音楽における変遷で重要なのは、曲作りがペンおよび紙の上ではなく楽器自体で行われたことです。楽器を使った作曲は楽器そのものが持つ特性が直接影響を及ぼします。従ってパイプで作られた曲とフィドルで作られた曲はそれそれが特徴を備えているといえます。クラッシックのヴァイオリン演奏家は左指をハイポジションに移動する必要があり、従って楽器を顎で支えます。ところがアイルランドのフィドラーはほぼ第一ポジションにとどまる演奏をしたため、極端な場合、楽器を腕まで下げて演奏しました。がっちり確保する必要のない自由さはアイルランド特有のフィドル・チューンを醸造したといえなくもありません。この演奏法はアメリカのフィドル・チューンに引き継がれます。

Uilleann Pipes Factory
Belfast Co. Antrim

アイルランドの伝承音楽は半ば閉塞状態にあった農村社会でゆるやかに蓄積されてゆきます。その豊饒ともいえる伝承に変化を与えたもの、それは20世紀初頭のレコードとラジオの出現です。新しい伝達手段は居ながらにして他の地域の音楽を入手できるようになります。それはある意味では、その豊饒なる伝承の共有としては素晴らしいものがあるのですが、その一方、その地域独自のスタイルが斜いてしまったという弊害も否定できません。スライゴーに生まれ育たなくてもスライゴー・プレーヤーを模倣するフィドラーの出現を可能にしてしまいました。時計の螺旋を逆に巻くことは不可能です。しかしながら逆にメディアの発達により私たちは世界中の素晴らしい民俗音楽の手に入れることができるようになりました。そして時系列の中でメディアが貴重な記録作業をしていることも忘れてはならないでしょう。

Irish Fiddle Girl
Fiddle Musuc