Review

ディスク&書籍紹介
Cold Mountain
G. B. Grayson, Henry Whitter and the Greer Sisters of Boone, North Carolina, ca. 1927.

カントリーやブルーグラスなどアメリカ独特の音楽は、移植者が伝承したヨーロッパの音楽に、アフリカ系アメリカ人のフレイズが加味されて発達したものだ。20世紀初頭の商業レコードは図らずも、伝承音楽の片鱗を記録することになった。60年代のフォークリバイバル運動によって、これらの音楽が再認識され、78回転のSP盤の音源が多数復刻LP化された。さらに今日、それがCD化されている。スミソニアン・フォークウェイズが膨大なLP資産のCD化を進めているの特筆に値する。ある意味でアメリカは「新世界」ではない言えそうだ。融合音楽ロックを作りながら、なおかつ時空を超えた伝承歌謡が歌われ続けているからだ。

Gid Tanner & His Skillet Lickers
Old-Time Fiddle Tunes And Songs From North Georgia
Gid Tanner & His Skillet Lickers
County Records, 1996
ASIN:B0000012FA

北ジョージア州出身のスキレット・リッカーズはアメリカの商業音楽黎明期において最もエキサイティングなバンドのひとつだったといえる。主なメンバーはジェームズ・ギデオン・タナー(1885年6月6日生まれ)、ジョージ・ライリー・パケット(1890年ごろ生まれ)、クレイトン・マクミシェン(1900年1月26日生まれ)で、時々ロウ・ストークス、フェイト・ノリス、そしてマクミシェンの義理の兄弟バート・レインなどが加わった。ギド・タナーが盲目のギタリスト、ライリー・パケットとレコーディングしたのは1924年3月7日だった。前年にオケー・レコードのラルフ・ピアが録音したフィドリン・ジョン・カースンのレコードが大ヒット、コロンビア・レコードのフランク・ウォーカーが追随する形でリリースしたものだ。スキレット・リッカーズは88曲を録音、そのうちの82曲が世に出た。かつてヒルビリーは田舎者の音楽として嘲笑された時代もあったが、今日のアメリカン音楽のルーツとして見直されてきた。その重要なグループのひとつとしてリッカーズが果たした功績は見逃せない。

Fiddlin' John Carson
Volume1 C.14 June 1923 to April 1924
Fiddlin' John Carson
Document Records, 1997
ASIN:B000000JJU

ジョージア州ファニン群の農家に生まれ育ったフィドリン・ジョン・カースンのフィドルと歌は、ラジオやレコードという20世紀初頭の全く新しいメディアに乗った最初カントリー音楽だった。また「ムーンシャイン・ケイト」の愛称で親しまれた彼の娘ローザ・リーは、最初のスターシンガーといえる存在だった。すでに55歳になっていたカースンだが、7回にわたるジョージア・オールドタイム・フィドラーズ・コンベンションのチャンピオンに輝いていた。アトランタ・ジャーナル紙が作った、出来立てほやほやのラジオ局 WSB のスタジオに出かけた彼は "Little Old Log Cabin in the Lane" をフィドルの弾き語りで歌った。謝礼は技術者のウィスキーの香りをかがせてもらっただけである。しかしこれがすべての始まりとなったのである。RCAの傘下にあったオケー・レコードの辣腕ディレクター、ラルフ・ピアに見出されたカースンは上記の曲と "The Old Hen Cackled and the Rooster's going to Crow" の2曲を録音する。1923年6月14日は、まさに歴史的な日となったのである。このCDには1923~24年にリリースされた貴重な23トラックが復刻されている。

Grayson and Whitter
Recorded 1928-1930
G.B. Grayson and Henry Whitter
County Records, 1999
ASIN:B00000I9XK

ギリアム・バンノン・グレイソンは1887年、ノースカロナイナ州アッシュ郡で生まれた。生後6週目に視力にダメージを受け、全盲とはならなかったものの、大きなハンディを負うことになる。幼児からフレットレス・バンジョーに親しみ、10代初めにはフィドラーとして名が知られるようになった。旅回りのミュージッシャンになった彼はドク・ウォルシュやクラレンス・トム・アシュレーと出会ことになる。1925年、テネシー州マウンテン・シティでのフィドラーズ・コンベンションに出場したしたことが成功への道につながることになった。一方、ヘンリー・ウィッターは1892年、ヴァージニア州グレイソン郡の生まれ。最初のカントリー・ハーモニカ・プレーヤーで、 ノースカロライナの綿工場労働者の仲間に娯楽を与えることから始まっている。1923年に "Wreck Of The Old 97" の録音を残している。これは後にヴァーノン・ダルハートが吹き込み、ミリオンヒットとなったいわくつきの曲である。グレイソンとウィッターのコンビは1927年に結成された。グレイソンが自動車事故で急死するまでのわずか3年間だったが、ふたりは初期のカントリー音楽シーンに大きな足跡を残した。その素晴らしい功績がこの一枚に凝縮されている。

Charlie Poole and North Carolina Ramblers
Recorded from 1925 to 1930
Charlie Poole and North Carolina Ramblers
County Records, 1993
ASIN:B0000012F2

チャーリー・プール&ノース・カロライナ・ランブラーズが1925 年から30年にかけて録音した16曲が収録されている。当時流行のストリング・バンドは、フィドル、バンジョー、ギターという編成が典型的なものだった。チャーリーのバンジョーはスリー・フィンガー奏法で、後のブルーグラス・バンジョーのルーツになっている。また、ロイ・ハーヴィーのギターはベースランニングに特長があり、これまた大きな影響を与えている。グループ初期のフィドラーだったロージー・ローラーはダブルノートを使わない、どちらかといえばクラシックのヴァイオリンに近い奏法だった。チャーリーが作った "White House Blues" はマッキレー大統領暗殺事件を扱ったトピカルソングで、今でもブルーグラス・ミュージシャンがよく取り上げている。禁酒法を背景に "Goodbye Booze" という曲も作っているのだが、彼自身が大酒飲みで、1931年に心臓発作からの若死してしまう。ブルーグラス音楽が好きな人にはそのルーツとして必聴。

Burnett & Rutherford
Complete Recorded Works In Chronological Order 1926-1930
Leonard Rutherford and Dick Burnett
Document Records, 1998
ASIN:B000006NLK

ディック・バーネットとレナード・ラザフォードはテネシー州境から60マイル、豊かな音楽遺産を持つ南ケンタッキーの炭鉱地帯に生まれ育った。レコーディング・アーティストといて名を馳せたエムリ・アーサーとその兄弟はすぐ隣近所だったし、バンジョー奏者マリオン・アンダーウッドやフィドル奏者エルマー・スタンレーもこの地域出身だった。今日に至ってもこの地域の人々は受け継がれた伝承音楽に誇りと愛着を抱いているいう。ふたりは1914年から1950年にかけてアメリカの南部を放浪した。旅することによって彼らの歌を広めるとともに蒐集も行ったが、これは伝承歌謡が持つ地域性の壁を乗り越えたことになる。レナードのフィドルは極めて滑らかで、その運弓法は広く知れわたり、1920年代から30年代にかけて多くの奏者によって模倣され、いわばアメリカン・フィドルのルーツ。ディックのギターはライリー・パケット、メイベル・カーター、サム・マクギーらに多くの影響を与えた。伝承音楽から商業音楽へ、1920年代の中で、最も多彩で最も価値があるグループを回顧することができる珠玉のアルバムである。

The Carter Family:1927-1934
Historic Recordings from Bristol, Tennessee
The Carter Family
JSP, 2002
ASIN:B00005TPB7

カーター・ファミリーはジミー・ロジャースと並んで、カントリー音楽の最初のスターだった。アルヴィン・P・カーター、彼の妻セイラ、そして義理の姉妹メイベルで結成されたこのグループが、その後のアメリカンルーツ音楽シーンに与えた影響は計り知れないものがあります。ウディ・ガスリー、ビル・モンロー、ドク・ワトソン、ボブ・ディラン、エミルー・ハリスなど、その信奉者、後継者を上げたら枚挙にいとまがないでしょう。カーター・ファミリーの音楽の特長は、彼らがコレクションした膨大な数のアパラチアの伝承歌謡をモダンなスタイルで歌ったことだろう。1927年、RCA のラルフ・ピアがテネシー州ブリストルで行ったヒストリカル・レコーディングをきっかけに一躍有名になった彼らは、ラジオとレコードとう新しいメディアを通じて文字通り一世風靡することになる。そして17年間に"Worried Man Blues" "Will the Circle Be Unbroken"などの名曲300余りを残すことになった。彼らの特長はメイベルとセイラのコーラスにAPのバスないしバリトンハーモニーが加わった独特のヴォーカルにあるが、メイベルのギター奏法を見逃すわけにはゆかないだろう。楽器はギブソン L-5 だったが、低音絃でメロディを奏でるピッキングはその後のブルーグラスギター奏法の基礎となった。一家は1938年まで故郷ヴァージニア州クリンチマウンテンに留まったが、3年間テキサス州に住んだあとノース・カロライナ州チャーロットに居を構えている。グループによる最後のラジオ出演は1942年、以降メイベルが3人の娘と演奏活動を継続して「カントリー音楽の女王」と呼ばれるようになった。この5枚組みのボックスセットには1927年から34年にかけての貴重な録音126曲が収録されている。

The Bristol Sessions
Historic Recordings from Bristol, Tennessee
Various Artists
Country Music Foundation, 1991
ASIN:B000000QIP

1927年、RCAのラルフ・ピアがテネシー州ブリストルで行ったヒストリカル・レコーディングのCD復刻盤。ピアは1920年にブルーズ歌手のマミー・スミスの "Crazy Blues" などを録音しヒットさせ、後にヒルビリー音楽で辣腕をふるったディレクターだ。ブリストルでのセッションは2週間にわたって行われたが、アーネスト・ストーンマン、ジョンソン・ブラザーズ、ジミー・ロジャーズ、カーター・ファミリーなどを「発見」している。いずれも後にビッグな存在になったアーティストたちで、ジム&ジェッシのお爺さんであるチャールス・レイノルズのフィドルなども記録している。東南部山岳地帯の伝承音楽が商業音楽に変身するきっかけとなった貴重な録音。1998年に米国連邦議会がブリストルを「カントリー音楽発祥の地」として承認、これに関連したいろいろな行事が行われてるようだ。カントリー&ブルグラスファン必携の1枚。

Old Time Music of West Virginia Vol.1
Various Artists
County, 2000
ASIN:B000040OB6

1920~30年代に録音されたウェスト・ヴァージニアのストリングバンドおよび白人ブルーズマンの音楽を集めた貴重なCDアルバム第1集で、19曲が収録されている。このジャンルの音楽に初めて接する人には、アメリカンルーツ音楽ブームのきっかけを作った映画『オー・ブラザー』を連想させる世界かもしれない。ウィリアムソン兄弟とカリーの "Gonna Die With My Hammer in My Hand" は "John Henry" のバリエーションだが、絡みつくようなフィドルをバックにしたボーカルを聴くとその感を強くするに違いない。映画に登場する脱獄した3人の囚人が組んだバンド「ずぶ濡れボーイズ」を彷彿とさせるからだ。全体に馴染みが薄いミュージッシャンのこのCDの中では、ブルース歌手フランク・ハチソンが比較的知られてるかもしれない。彼はドグ・ボグズのようにラグタイム・フィンガーピッキングとボトルネックスライドの両方のギターに精通した人だった。またブラインド・アルフレッド・リードは1927年、テネシー州ブリストルでのラルフ・ピアのセッションに参加したシンガーでもある。カントリー音楽では一般的なダブルノートではない、単線のフィドルをバックにした切々たる歌声は一度聴いたら忘れられないだろう。

Jimmie Rodgers
1927-1928
Jimmie Rodgers
Rounder Records, 1992
ASIN:B0000002RI

ジミー・ロジャーズはミシシッピ州メリディアンに1897年に生まれ、1933年に結核で35歳でなくなるまで、約110曲の名曲を残した。商業レコードの黎明期の1920年代、RCAビクターのラルフ・ピアは東南部山岳地帯や、南部に出かけスカウト活動をします。1927年の8月4日、ジミー・ロジャーズはRCAのために彼の最初のセッションをテネシー州ブリストルで行う。後に有名になった歴史的な「ブリストル・セッション」でカーターファミリーやアーネスト・ストーンマンもこのときに「発見」されカントリー音楽発祥の礎となった。録音は午後2時から午後4時20分まで続き、"The Soldiers Sweetheart" "Sleep Baby Sleep" の2曲が収録された。レコードはその年の10月にリリースされ、それなりの売れ行きを示す。しかし当のラルフ・ピアでさえ、後にジミーが「カントリー音楽の父」と呼ばれるようになるとは夢にも思ってはいなかった。ジミーはヒルビリーとブルースを融合し「ブルー・ヨーデル」シリーズで一世風靡する。このCDには彼の初期の録音が収録されている。特に前述のファースト・レコーディングが入ってるという点で、ひじょうに貴重なものといえる。

The Early Years
The Early Years
Vanguard, 1998
ASIN:B000007RYZ

ブルーグラス音楽はビル・モンローのバンド「ブルーグラス・ボーイズ」に由来する。ブルーグラスは単に青い草という意味ではなく、牧草の一種で、彼の故郷ケンタッキー州のニックネームでもある。1938年に結成したケンタッキアンズを翌年に改称したものだ。ジミー・ロジャースの "Muleskinner Blues" を引っさげてグランド・オール・オープリーのデビューを果たしたが、真の意味でのブルーグラス・スタイルが確立するには1945年まで待たねばならなかった。この年、レスター・フラットとアール・スクラッグスが迎えられたが、スクラッグスのスリー・フィンガー奏法によるバンジョーの響きこそブルーグラスの黎明のシンボルであった。ふたりは1948年にバンドを離れてフォギー・マウンテン・ボーイズを結成する。このCDは1945~49年録音の貴重な音源を集めたもので、チャビー・ワイズのフィドルが美しい "Blue Moon of Kentucky" などの名曲が収められている。フラット&スクラッグスが参加しているのは46~47年のテイクで、49年録音にはマック・ワイズマンが加わっている。スクラッグスのバンジョーは "Bluegrass Breakdown" でいかんなく発揮されているが、6曲目の "Blue Grass Special" そして続く "Kentucky Waltz" ではなんとアコーディオンが登場する。フラットマンドリンの先駆者であったし、新しい音楽スタイル誕生への模索が伺えて興味深い。

The Prodigal Son
The Prodigal Son
Roy Acuff
Country Stars, 2004
ASIN:B0001ENX2W

ロイ・エイカフは1903年、テネシー州メイナーズヴィル生まれ。父親はフィドラーで、ロイも幼少の頃からこの楽器に親しんだ。プロ野球選手志望だったが1929年に激しい日射病に見舞われスポーツの道を断念する。フィドルの腕を磨き、1932年に南部一帯の小さな町を巡回するメディスン・ショウに参加する。薬の行商で客寄せのために芸を披露する大道芸人である。黒翌1933年、後に "Crazy Tennesseans" と名を変えたバンドを結成してラジオに出演する。1936年に彼のバンドは "Great Speckled Bird" を含む最初のレコーディングを行った。そして1938年2月5日、"Smoky Mountain Boys" を率いてナッシュビルの「グランド・オール・オプリー」の舞台を踏みその宣伝に大きく寄与することになる。新しいショウビジネスが始まったのである。以来、ナッシュビルはカントリー音楽の首都としての役割を今日に至るまで保ち続けている。多くのヒット曲、多くの伝説を残して1992年にロイはこの世を去った。このCDには1940年代後半から50年代にかけての黄金時代の名曲が復刻されている。フィドル、ドブロ、マンドリン、ハーモニカなどの編成によるアコースティック・サウンドが時代を超えた普遍性を醸し出している。

The Stanley Bros
20th Century Masters/The Millennium Collection
Stanley Brothers
Mercury, 2002
ASIN:B00006K09L

ラルフとカーター兄弟は多くのヒルビリーミュージッシャン同様音楽一家に生まれ育った。陸軍に服役、第二次大戦後の1946年、ふたりは "Clinch Mountain Boys" を結成する。そしてビル・モンローのブルーグラスに啓発された彼らは、独自のスタイルを築いて40~50年代を駆け抜けることになる。リッチ・R・トーンと契約、最初のレコーディングは1947年だった。10曲を残した後、翌年にコロムビアとサインを交わす。コロムビアでは22曲を録音したが、まさにブルーグラスの古典といえるだろう。1951年に一時解散、カーターがビル・モンローのバンドに加わったがすぐに復帰する。さらに1953年にいたってマーキュリーに移籍、このCDはこの時代の珠玉の作品集である。その後、スターディとキングと契約、南部を中心に音楽活動を続けるが、ある意味では棘(いばら)の道だったかもしれない。1966年、兄カーターが重病に陥り、12月1日に41歳の若さでこの世を去ってしまった。兄亡き後のラルフの活躍に関してはここでは最小限に留めておこう。映画『オー・ブラザー』に流れた "O Death" にその「博士」たる所以を垣間見ることができる。スタンレー・ブラザースの最大の魅力はその特異なコーラスにあった。永遠不朽のハーモニーはラルフの朴訥な歌唱とラルフの艶やかなハイテナーによって醸造されたものだ。

Bluegrass Early Cuts 1931-1953
Classic Recordings Remastered
Various Artists
JSP Records, 2004
ASIN:B0002DXBQK

ブルーグラス音楽の誕生は、ビル・モンローが兄チャーリーと組んでいたデュオ「モンロー・ブラザース」を解散して1939年に結成した「ブルーグラス・ボーイズ」に遡る。ブルーグラスは牧草で、ケンタッキー州の愛称になっている。スリーフィンガー奏法を引っさげたバンジョーのアール・スクラッグスが加入した 1945年をブルーグラス元年とする人が多い。1946年9月16日に彼らは初録音をした。メンバーはビル・モンロー(マンドリン)、レスター・フラット(ギター)、アール・スクラッグス(バンジョー)、チャビー・ワイズ(フィドル)、ハワード・ワッツ(ベース)だった。このCDボックスセットは、ブルーグラス音楽誕生前後に世に出たさまざまなアーティストおよびグループによる1931~1953年録音の貴重なカットを集めた復刻盤。ビル・モンローが修行したJ・E・メイナー&マウンテニアーズや、アーリー・ブルーグラスの名曲を残したモリス・ブラザーズ、そして1940年代後半から50年代にかけてのアーリー・ブルーグラスの「黄金時代」に名演奏を残したロンサム・パイン・フィドラーズ、リリー・ブラザース、ソニー・オスボーンなど、4枚組全96曲、ファン垂涎のコレクションである。出版元のJSPが英国のロンドンの会社であることは特筆すべきだろう。

Mountain Music Of Kentucky
Various Artists
Smithsonian Folkways, 1996
ASIN: B000001DJN

マイク・シーガー、トレイシー・シュワルツと「ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ」を組んでアメリカンルーツ音楽、とりわけ商業レコードの復原演奏をしていたジョン・コーエンがケンタッキーでフィールド録音し、フォークウェイズからLP化されたものがオリジナルである。コーエンは1959年、スイス製のポータブル録音機を抱えてケンタッキーに入ったが、フォーク歌手ジーン・リッチーの助言を受けたとLPのライナーノーツにある。ロスコー・ホルコム、ジョージ・デイビス、マーサ・ホールなど無名有名の民謡伝承者の歌やバンジョー、フィドルの演奏、はてはバプテスト教会の聖歌なども収録した貴重な音源群である。録音機を使ったアパラチアにおける民謡蒐集の先駆者のひとりははアラン・ロマクスだったが、少し時代を経ながら、少なくとも50年代末までこの地域には素朴で芳醇な演奏スタイルが温存されていたことがよくわかる。教会を除いて、録音はリビングルームや台所、フロントポーチなどで行われ、時に自動車のノイズなども残っていて、そのことがフィールド録音らしい記録になっている。オリジナルLPの収録数は28曲だったが、この2枚組CDではなんと68曲が収まっている。コーエンは優れた写真家だが、このCDのライナーノーツにも再び素晴らしい写真群が掲載されている。

Country Songs, Old and New
Country Songs, Old and New
Smithsonian Folkways, 1992
ASIN:B000001DFV

カントリー・ジェントルメンが1960年にフォークウェイズ・レコードからリリースしたLPのCD復刻盤である。ブルーグラス音楽は1945年にビル・モンローが結成した「ブルーグラス・ボーイズ」に由来するが、それは東南部山岳地帯のストリングバンドにディキシーランドジャズの要素を入れたものといいだろう。楽器がアコースティックなのが特長である。このブルーグラスを、都会風に、しかもプログレッシブにしたのがカントリー・ジェントルメンである。パーソネルはチャーリー・ウオラー(ギター)、ジョン・ダッフィー(マンドリン)、エディー・アドコック(バンジョー)、ジム・コックス(ベース)。ブルーグラスを都会、そして海外に広めた歴史的な珠玉の1枚。ジャケット写真にフィックスされた彼らの髪型が時代を彷彿とさせる。ジョン・ダッフィーは1996年暮れ、チャーリー・ウオラーは2004年秋に他界した。

Bluegrass at Newport
Recorded Live at the Newport Folk Festivals 1959, 60 & 63
Various Artists
Vanguard, 1991
ASIN:B000000ECV

ロードアイランド州ニューポートのフォーク・フェスティバルは1950年代末、アメリカのフォーク・リバイバル運動に呼応して始まったものだ。1960年代初頭にジョーン・バエズに紹介されたボブ・ディランがステージに立ち事実上のデビューを果たしたことで知られている。ラルフ・リンズラーの尽力でドク・ワトソンとクラレンス・トム・アシュレイが競演するようになったのもこのコンサートが魁(さきがけ)になってる。このCDは1959~63年に録音されリリースされたブルーグラス特集アルバムの復刻盤である。ブルーグラスが単に商業音楽の一ジャンルではなく、アメリカンルーツ音楽に深く根ざしてる証でもある。パーソネルはレスター・フラット&アール・スクラッグスのフォギー・マウンテン・ボーイズ、ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ、テックス・ローガン、マック・ワイズマンとカントリー・ボーイズ、クラレンス・トム・アシュレイ&ドク・ワトソンとクリント・ホワード&フレッド・プライス、モリス・ブラザース、ジム&ジェッシとヴァージニア・ボーイズなど。アルバムは全盛期であったフォギー・マウンテン・ボーイズの "Salty Dog Blues" で始まるが、この曲の作者であるジークとウィリーのモリス兄弟によるライブを併せて聴けるのが嬉しい。

Clarence Ashley and Doc Watson
The Original Folkways Recordings, 1960-196
Doc Watson and Clarence Ashley
Smithsonian Folkways, 1994
ASIN:B000001DHG

クラレンス・トム・アシュレイは1895年に生まれ、子どもの頃からバンジョーを始めるが、彼自身が "sawmill key" あるいは "lassy-makin" と呼んだチューニングを編み出す。これはあの有名な "Coo-Coo Bird" で聞くことができるチューニングだ。第一次世界大戦前ではこの地域ではギターは珍しいものだったが、アシュレイは12歳にしてこの楽器を手にし、ギターによる伴奏者になる。16歳になると、彼はメディスン・ショーに加わる許可を祖父から得て、バンジョー片手の旅を経験することになる。彼がドク・ウォルシュに出会ったのは1925年のことで、カロライナ・ター・ヒールを結成します。彼の音楽活動は1943年まで続きます。いわば大道芸人としてだったのだが、チャーリー・モンロー、レスター・フラット、スタンリー・ブラザースとの共演をしている。ドク・ワトソンは1923年生まれで、幼児に失明した。音楽一家に生まれたが、格好の先生はラジオとレコードで、トム・アシュレイなどのヒルビリーを聴いて育った。この世代が違う二人を引き合わせたのはラルフ・リンズラーだった。このCDは1960年から62年にかけてフォークウェイズが録音しLP化したものの復刻盤で、2枚組み48曲が収録されている。

jean ritchie ballads
Jean Ritchie
Smithsonian Folkways, 2003
ASIN: B00008OM0D

ジーン・リッチーは1922年、ケンタッキー州ヴァイパーに生まれた。豊かな東南部アパラチア山系の伝承歌謡を受け継いだ一家で、その数は300曲に及ぶものだったという。ウィリアムズバーグのカンバーランド短期大学を1946年に卒業、ニューヨーク市ヘンリー街のセツルメントで働き始めるが、憶え親しんだ歌が子供たちとの接触に役立つことを知るのである。すぐに彼女はコーヒーハウスの人気者となり、音楽活動のキャリアが始まる。エレクトラ・レーベルを起こしたばかりのジャク・ホルツマンがたまたま彼女の録音を耳にし契約し3枚のアルバム"Jean Ritchie Sings (1952)" "Songs of Her Kentucky Mountain Family (1957)" "A Time for Singing (1962)" をリリースすることになるのである。ピーター・ポール&マリー、ジュディ・コリンズ、ジョーン・バエズ、キングストン・トリオなどが輩出、世はフォーク・リバイバルの真っ只中だったが、ジーンはまさにアパラチアの純粋な伝承を受け継いだ歌い手だった。そして彼女はその後も貴重な民俗音楽伝統を維持するために働き続けるのである。このCDは1961年にフォークウェイズからリリースされたLPを復刻したもので、19世紀後期に民謡学者F・チャイルドによって発表された「チャイルド・バラッド」を主軸とした画期的かつ貴重な記録である。ダルシマーを伴奏にした数曲を除いて無伴奏であるが、明瞭な、純粋な歌声は時間を超越したものであろう。

hazel dickens & aice gerrard
Pioneering Women of Bluegrass
The Original Folkways Recordings, 1965 and 1973
Smithsonian Folkways, 1996
ASIN: B000001DJ7

アリソン・クラウスなど、女性のブルーグラス・ミュージッシャンが華々しい活躍をしている。ブルーグラスそのものは1945年に天才バンジョー・ピッカー、アール・スクラッグスを加えたビル・モンロー&ブルーグラス・ボーイズに端を発するのだが、女性の進出は意外と遅く、1960年代から活動を始めたこのヘーゼル&アリスが先駆的な存在になっている。ヘーゼル・ディケンズはウェストバージニア州マーサー郡生まれ。貧しい炭鉱地帯から逃れるように、16歳のときにバルティモアに移住する。50年代当時のバルティモアはまさにブルーグラス音楽ブームの真っ只中にあったといえる。国会図書館のフォーク・ソング・アーカイブで彼女は同好のミュージシャンであるアリス・ジェラードと知り合いになり、フォークウェイズにふたつのLPをを残すことになった。1965年および1973年にリリースされたもので、このCDはこのふたつを1枚にまとめたものだ。全26曲を通して「ブルーグラスの女性開拓者」の演奏を堪能することができる。

Lookin' Back by Bill Monroe
Bill Monroe
Silver Eagle, 1999
ASIN:B0002DXBQK

1984年1月28日、ニューヨークの「ショウケース・クラブ」のライブ録音で、ビル・モンロー(フラットマンドリン、ヴォーカル)、ウェイン・ルイス(ギター、ヴォーカル)、ケニー・ベーカー(フィドル)、ブレイク・ウィリアムズ(バンジョー)、マーク・ヘンブリー(ベース)。ビル・モンローは1911年9月13日ケンタッキー州生まれ。音楽一家に育ったが叔父(アンクル・ペン)がフィドラーでその影響が強かった。家族誰もが手を出さなかったマンドリンの稽古に励み、これは後の彼の方向を決定することになる。兄チャーリーとの「モンロー・ブラザース」を経て1945年に歴史的バンド「ブルーグラス・ボーイズ」を結成した。ブルーグラスというのはケンタッキー州のニックネームである。このレコーディングではすでに73歳に達していたビルだが、艶あるハイテナーでお得意の "Footprint In The Snow" "Mule Skinner Blues" などを披露している。フラット&スクラッグスの十八番 "Foggy Mountain Breakdown" のリクエストに応じてるのも興味深い。全編に流れるケニー・ベーカーの軽快なフィドルが心地よい。1996年、85歳の誕生日を迎える前に他界した。

Live in Stereo
Live in Stereo
Double Barrel Records, 2003
ASIN: B00009UVWV

フランス系カナダ人のエリック・ホワイト・シニアの3人の息子、ローランド、エリック、クラレンスと娘のジョアンが1954年にロサンジェルスで結成した "Three Little Country Boys" がケンタッキー・カーネルズのルーツだ。ローランドがビル・モンローに傾倒、マンドリンを手にしたことからブルーグラス・バンドへに変身、1957年には地元局でレギュラー番組を持つようになる。1963年にファーストアルバムを出すが、このときからケンタッキー・カーネルズを名乗るようになった。徴兵で抜けていたローランドが戻り、フィドラーのボビー・スローンが加わり、グループは全米ツアー敢行する。1964年にはUCLAとニューポートのフォークフェスティバルに足跡を残している。その後、天才フィドラーであったスコッティ・ストーンマンを迎えたが、1965年に解散する。カーネルズが今日でも強い支持を得ているのは、なんと言ってもクラレンスの技巧を凝らした華麗なギターテクニックの魅力によるものだろう。ジョージ・シャフラー、アール・スクラッグスそしてドン・レノの奏法を基に彼独自の発想が加わった革命的早弾き奏法である。1968年に「ザ・バーズ」に参加、フォークロックの礎を築いたひとりだが、73年に交通事故でこの世を去った。弱冠29歳の若さだった。このアルバムは1965年録音のステレオ音源を Shikata Records の四方敬士氏の尽力でCD化されたもので、パーソネルはクラレンス(ギター)、ローランド(マンドリン)、ビリー・レイ(バンジョー)、ロジャー・ブッシュ(ベース)の4人。

1965 Live in L.A.!
1965 Live in L.A.!
Rural Rhythm, 2003
ASIN: B00007JGPF

スコッティ・ストーンマンは1932年バージニア州ゲイラックス生まれのフィドラーで、5回もナショナル・チャンピオンに輝いた夭折の天才である。父親は商業レコードの黎明期、1924年に「タイタニック号の沈没」という大ヒット曲を出したアーネスト・V・ストーンマンだ。このライブアルバムはスコッティにとってもっともエキサイティングな演奏といえるだろう。フィドルチューンの定番「オレンジ・ブロッサム・スペシャル」のエキサイティングなには感嘆するのみである。バックはケンタッキー・カーネルズ。といっても実はウェストコーストをベースにした伝説のブルーグラス・バンドだ。特にギターのクラレンス・ホワイトはフラット・ピック奏法ではその名が高い。録音は1965年、ロサンジェルスのアッシュ・グローブおよびコブルストーン・クラブで行われた。1978年にリリースされたLPの復刻盤で、4曲のボーナス・トラックが加えられている。

Stuart Duncan
Stuart Duncan
Rounder, 1992
ASIN: B0000002J5

スチュアート・ダンカンは南カリフォルニアに生まれ育った。ロサンジェルスのローカルバンド、例えばウォールデン・ダールの ハイ・ウィンドウ・ボーイズなどに参加、1985年にナッシュビル・ブルーグラス・バンドに加わった。ナッシュビルを代表するブルーグラス・グループで、フィドルばかりではなく、マンドリン、ギター、バンジョーを演奏するマルチ・プレーヤーだ。南北戦争の悲劇を描いた映画『コールド・マウンテン』で情感溢れるフィドルを披露し広く一般に知られるようになった。このソロアルバムは1992年ラウンダーからリリースされたもので、ベラ・フレック、ヴィクター・ウッテン、そしてナッシュビル・ブルーグラス・バンドの仲間がフィーチャーされている。私は1曲目の "Brushy Fork of John's Creek" のような、クローハンマー・バンジョーとの掛け合いによるオールドタイミーな演奏が好きである。ではリードヴォーカルを担当した"Lonely Moon" に、並々ならぬ多才ぶりが窺える。

Barbara Lamb Fiddle Fatale
Barbara Lamb
Sugar Hill, 1993
ASIN: B000000F2S

カントリースイングバンド「ランチ・ロマンス」の女性フィドラー、バーバラ・ラムが、1993年に発表した待望のソロ・アルバム第一弾。ティム・オブライエン(マンドリン&ブズーキ)がプロデュース、サム・ブッシュ(マンドリン)、ジェリー・ダグラス(ドブロ)やジョー・クラヴァン(パーカッション)などの多彩なゲストを迎えている。レトロなカントリースイングから、ブルーグラス、ケイジャン、アイリッシュとバラエティに富んだ内容で、それぞれのスタイルで見事なフィドリングを聞かせる彼女の溢れるばかりの才能に驚かされる。ブルーグラス音楽のスタンダードナンバーとして良く知られている "Good Woman's Love" は、古くはカントリー・ジェントルマンがフォークウェイズからリリースしたファーストアルバムで名演奏を残しているが、オブライエンと共にヴォーカルも担当して実に見事な仕上がりになっている。トニー・トリシュカのバンジョーとの掛け合い "Katy Hill" では伝承曲に新たな味付けをしているし、ジョー・クラヴァンのパーカッションとの息もつかせぬセッション "Ducks On The Millpond" は、フィドル音楽の新しい道を拓いているといっても過言ではない。アルバムタイトルに相応しいテクニックの持ち主である。

Alison Krauss + Union Station Live
Alison Krauss and Union Station
Rounder, 2002
ASIN:B00006LLLN

ブルーグラス音楽の女性ミュージッシャンといえば、1960年代から70年代初頭に活躍したヘイゼル・ディッケンズ&アリス・ジェラードを思い出します。いわばパイオニアなのですが、本格的なポップミュージッシャンの出現は70年代のローリー・ルイスを待たねばなりませんでした。グリーン・ブライア・ボーイズなどの西海岸の「ニューグラス」に刺激を受けてブルーグラスの世界に入った女性です。そして時代は下り、元々は東南部のローカル音楽であったこのブルーグラスをロックに融合させたのが、アリソン・クラウスです。1971年イリノイ州生まれ。ローリー・ルイスと共通しているのは、アリソンもまた幼少のころにクラシック・バイオリンの訓練を受けてることです。それゆえでしょうか、演奏そのものが非常に正確でダイナミックです。透き通ったボーカルが魅力あるのはいうまでもなく、この2枚組みライブは演奏も録音も完璧。ふだんカントリーやブルーグラスを聴いていないかたにもお奨め。

When The Storm Is Over
New Grass Revival
Flying Fish, 1992
ASIN: B000000MDQ

バンド名そのそのものが新しいブルーグラス音楽を彷彿とさせる。のパーソネルはサム・ブッシュ(フィドル、マンドリン、ヴォーカル)、コートニー・ジョンソン(バンジョー)、カーティス・バーチ(ギター、ヴォーカル)、ジョン・コワン(ベース)の四人。1975年および1977年のスタジオ録音による2つのLP "When the Storm is Over" "Fly Through The Country" を1枚のCDに復刻したもの。前者にはピアノやドラムスを加えるなど、ブルーグラスの範疇をやや超えたものがあるのですが、後者はスタンダードな雰囲気が漂っている。フラット&スクラッグスの "Doin' My Time" を演奏したかと思うと、ジャクソン・ブラウンの "These Days" をカバーするなど二重性を含んだアルバムといえるだろう。ニュー・グラス・リヴァイバルの活動は1972年に遡るのですが、長髪の若者が、いわば保守的ともいえるブルーグラス音楽にジャズを融合させてことにその成功を見ることができる。このCDにはその成果が凝縮されているといっても過言ではないだろう。

Laurie Lewis & Her Bluegrass Pals
Laurie Lewis
Rounder Records, 1999
ASIN:B00000IP88

女性のボーカル&フィドラーというとアリソン・クラウスを思い浮かべる人が多いかも知れない。しかし待ってください、このローリー・ルイスを忘れてはいけません。彼女はバンド・リーダー/歌手/ソングライター/フィドラー/ギタリスト/ベースプレーヤーと多才ですが、やはりフィドルにその顕著な才能を見ることができる。サンフランシスコ湾エリアで成長、60年代、まだ十代だった彼女はドク・ワトソン、ジーン・リッチー、ミシシッピ・ジョン・ハートなどの音楽に触れる。特にブルーグラス・リバイバル・グループともいえるグリーン・ブライア・ボーイズの結成にはショックを受けたようだ。そしてフラット&スクラッグスやビル・モンローなどのブルーグラスの虜になったのである。このアルバムのリリースは1999年。彼女自身の曲や、ジーン・リッチーのエコロジカル・ソング "Black Waters" などが収められている。

Plays and Sings Bluegrass
Tony Rice
Rounder Records, 1993
ASIN:B0000002IP

オリジナルは1993年リリース。私が選ぶブルーグラスの3大フラット・ピッキング・ギタリストはドク・ワトソン、クラレンス・ホワイト、そしてこのトニー・ライス。トニーはカリフォルニア南部育ち。父親が西海岸ブルーグラス・バンド「ケンタッキー・カーネルス」に心酔していたころからも、トニーがクラレンス・ホワイトの影響を大きく受けてることは十分にうなずける。1970年にケンタッキーへ一時的に移動、デビッド・グリスマンに出会い、カリフォルニアに戻って「ニューグラス」スタイルの基礎を築くのに貢献する。とはいえ、ブルーグラスの本道から決して外れていない。このアルバムは "Plays and Sings Bluegrass" とタイトルがついてるように、"How Mountain Girls Can Love" "I Wonder Where You Are Tonight" などのブルーグラスの名曲が散ばめられています。いつもながらの華麗なギターピッキングには酔わすにはいられない。渋いヴォーカルも魅力たっぷりである。

Lonely Runs Both Ways
Alison Krauss and Union Station
Rounder, 2004
ASIN:B000645UPA

2004年11月23日にリリースされたCDアルバム。アリソン・クラウス+ユニオン・ステーションのひとつの頂点は2002年前にリリースされた緊張感溢れる「ライブ」だったが、これはスタジオ録音。今やブルーグラス界のスーパーグループの感を呈しているが、今回も期待を裏切らない素晴らしいアルバムに仕上がっている。アリソンはそのヴォーカルに魅力があるのは無論だが、フィドルもまたいっそうの磨きがかかっている。ダン・ティミンスキーのリードヴォーカルをフィーチャーした "Rain Please Go Away" の伴奏にその真価の片鱗を伺うことができる。フィドラーとしても第一級だ。私としては同じくダンが歌うウディ・ガスリーの "Pastures of Plenty" が興味深い。ユニオン・ステーションの特長は、モダンな装いにしっかりしたアメリカンルーツ音楽の本流が流れていることであるが、その神髄が集約されている。ウディの曲がこのように蘇ったことに言い知れぬ感動を覚えた。伝統と現代というテーマに対するひとつの回答を出しているといえるだろう。

Bruce Molsky & Big Hoedown
Bruce Molsky
Rounder Records, 1997
ASIN:B0000002Q7

ブルース・モルスキーはニューヨーク生まれだが、トミー・ジャレル(1886-1975)などの奏法の影響を受けた、アパラチアン・フィドルを継承する第一人者だ。バンジョーやギターにも精通したマルチプレーヤーだが、彼自身のウェブサイトの解説によれば、ミネアポリス・スター・トリビューン紙は「オールドタイム音楽のライ・クーダー」と評したそうだし、ヴァイオリン&フィドル奏者のダロル・アンガーは「アパラチアン・フィドルのレンブラント」と呼んだそうである。アメリカ、アイルランド、東欧の伝承音楽を融合させるべくアンディ・アーヴァインが結成した MOZAIK のメンバーでもある。このCDは1997年にラウンダーからリリースされたもので、ビヴァリー・スミス(ギター)、レイフ・ステファニ(フィドル&バンジョー)とのトリオ、典型的なストリング・バンドの様式を継承した編成である。ハリー・スミスのアンソロジーからの2曲を含むこのアルバムは、モダンな味付けを包含しながら、伝統を堅持するという姿勢が前面に出た秀作である。ビヴァリー・スミスの歌唱の素晴らしさを特記しておきたい。

Livin' Reeltime, Thinkin' Old-Time
Livin' Reeltime, Thinkin' Old-Time
Yodel-Ay-Hee, 2002
ASIN:B0002234X6

アパラチア山系の伝承音楽のルーツを辿ると、まず無伴奏のバラッド。つぎにアイルランドやスコットランドからの移植者が持ち込んだフィドルが一般的だった。イレアン・パイプの録音が残っているが、20世紀初頭、在米のアイルランド人たちが故郷をの演奏家を招聘したもので、アパラチア山系には稀有だったと想像される。次に伝播したのが南部黒人コミュニティからのバンジョーで、このふたつの楽器によるコンビネーションが長く続いたようだ。ギターがイタリアから輸入されたのは新しい。この三つの楽器による編成がストリングバンドの典型で、商業レコードではチャーリー・プール&ノース・カロライナ・ランブラーズがよく知られている。リールタイム・トラベラーズは90年代末にテネシー州ジョンソン・シティに生まれたローカルバンドで、パーソネルはマーサ・スキャンラン(ギター)レイ・アンドレイド(バンジョー)トーマス・スニード(マンドリン)ヘイディ・アンドレイド(フィドル)ジョン・ヘルマン(ベース)の五人。編成をみるとブルーグラスに思われがちだが、演奏は古典的なオールドタイム・ストリングバンドのスタイルを継承している。彼らは「ブルーグラスも混在している」とインタビューに答えてが、より古い形式といえる。バンジョーとフィドル奏法にそれが顕著だ。アメリカンルーツ音楽における伝統と現代の狭間を埋める好演奏で、ストリングバンドの新しい姿を提示している。

Songs from the Mountain
Tim O'Brien, John Herrmann and Dirk Powell
Sugar Hill, 2002
ASIN:B0002Q2JU6

チャールス・フレイザーの小説『コールドマウンテン』の背景がこのCDのメイン・ストリームになっている。アイルランド、スコットランドおよび英国の移民が、1700年代にノースカロライナなどのアパラティア山系に持ち込んだ音楽がオールドタイム・カントリーのルーツである。半ば隠されたようにして温存され、数世紀に渡って伝承されてきたかけがえのない音楽を、ダーク・パウエル、ティム・オブライエンおよびジョン・ヘルマンが見事に再現している。フィドル、バンジョー、ギター、ダルシマーそして歌唱、いずれも伝統的なスタイルに忠実である。冒頭の "Mountain Air/Washington's March/Bonaparte's Retreat" にそのことが顕著に現れている。音楽は娯楽のひとつであるが、娯楽以上の意味を持つことがある。伝承を受け継ぎ、さらに未来にそれを託すという作業を具現化した一枚だ。

Cold Mountain
Original Soundtrack
DMZ/Columbia, 2003
ASIN: B0000E1WL4

チャールズ・フレイザーの同名のベストセラー小説『コールドマウンテン』をアンソニー・ミンゲラ監督が映画化した作品のサウンドトラック盤。南北戦争末期、負傷して脱走した兵士が、愛する女性の待つ故郷コールドマウンテンへ旅立つ。死罪を覚悟の過酷な旅と、恋人との再会を心の支えに厳しい自然に耐え懸命に生きる女性を描いた、壮大なスケールのラブロマンスである。映画『オーブラザー』はアメリカンルーツ音楽を掘り下げることによってその評価が高い作品になったが、この映画はさらに南部山岳地帯の伝承音楽の素晴らしさをアメリカ人はおろか、世界の人々に印象付けたのではないだろうか。ジャック・ホワイトやT・ボーン・バネット、アリソン・クラウスらの素晴らしさはもちろんだが、スチュアート・ダンカンの情感溢れたフィドルを高く評価したい。時にティム・エリクセンが歌う "Am I Born To Die?" の背景に流れるオブリガードは秀逸である。映画のサウンドトラックという範疇を乗り越え、一枚ルーツ音楽の秀逸CDとして楽しめる。

SongCatcher
ジャネット・マクティア (出演) エイダン・クイン (出演) マギー・グリーンウォルド (脚本)
松竹, 2004
ASIN:B0002Q2JU6

先住民がいたにも関わらずメイフラワー号が「新世界」に到着したのは1620年、そして植民地支配が始まった。英国とアイルランドの人々が入植したのはヴァージニア、ウェストヴァージニア、ノースカロライナ、ケンタッキーおよびテネシーのブルーリッジおよびアパラチア山系だった。いわゆる第一期植民地の時代であった。その後も移民は続き、フロンティアは西に進み、東南部山岳地帯は「陸の孤島」化してしまう。この映画はマサチューセッツ州ウェストメドフォード生まれのオリーブ・デイム・キャンベル(1882-1954)をモデルとした恋愛物語で、アメリカンルーツ音楽への関心を喚起した作品だった。オリーブは1907年にアパラチアの山の中に入り、英国古謡「バーバラ・アレン」が伝承されてることを「発見」する。民謡蒐集ばかりではなく40年間住んで学校を開き、教育活動を行った。彼女はアイルランドやスコットランドからの移民たちが醸造した民謡を蒐集したのだが、後に英国の民謡蒐集家セシル・シャープ(1859–1924)と『南部アパラチアの英国民謡』という著書として結実させ、オックスフォード大学から出版した。つまり本国で失った古謡がアパラチアに棲息し続けたのである。カメラワークも素晴らしいが、数々のアパラチア民謡が耳から離れない。史実を曲げてフィクション仕立てにしたのが惜しまれる。

O Brother
Original Soundtrack
Uni/Mercury Nashville, 2000
ASIN: B00004XQ83

映画『俺たちに明日はない(ボニー&クライド)』に流れていたテーマ曲はアール・スクラッグスの「フォギー・マウンテン・ブレークダウン」だった。物語は30年代、まだブルーグラス音楽が誕生していなく、なんとなく違和感を感じたものだ。といった具合で、多くの映画の中の音楽は、歴史モノだとなんとなくその時代考証が気になってしまうという困った性癖を持ってる。じゃあ、映画『オーブラザー』はどうか? 実は最初、少し上記のことが気になったわけではない。しかし、その真髄において、まさにアメリカのルーツ音楽の神髄に触れていると感心させられる。ノーマン・ブレイク、ラルフ・スタンレー博士、アリソン・クラウス、エミルー・ハリスなどのトップミュージッシャンを包含してCDはサウンドトラック盤というカテゴリに納まらないような気がしする。映画の余韻が消えた今でも、1枚の音楽CDとして立派なものであることを再認識してしまう。

Livin', Lovin', Losin'
Songs of the Louvin Brothers
Various Artists
Universal South, 2003
ASIN: B000002LFQ

チャーリーとアイラのルーヴィン兄弟がデュオを組んだのは1930年代に遡る。彼らが手本としたのはボリック・ブラザース、モンロー・ブラザース、デルモア・ブラザースなどの兄弟デュオだった。50年代に入ってカントリー音楽のサウンドに変化が起こるが、この時期にルーヴィン兄弟の活躍が始まった。なんと10回ものオーディションに挑戦、1955年にグランド・オール・オプリーの出場を果たすが、以後1963年の解散までその活躍が続いた。兄弟の特質は素晴らしいテナー・ハーモニーに集約されるが、曲作りにも大いなる才能を示した。例えばエミルー・ハリスの最初のヒット曲 "If I Could Only Win Your Love" は彼らの作品である。このCDはそのエミルーやジェイムズ・テイラー、アリソン・クラウスなどが参加したコラボレーション盤で、第46回グラミー賞最優秀カントリー・アルバムを受賞している。タイトルは「生きること・愛すること・失うこと」とでも訳すのでしょう。私個人はマーティン・スチュアート、デル・マコーリーとの小気味良い演奏 "Let Us Travel, Travel On" が好きだ。ジャケットデザインが秀逸であることも見逃せない。

So Long of a Journey
Live at the Bouder Theater
Hot Rize
Sugar Hill, 2002
ASIN: B000060OXG

ホット・ライズがコロラド州ボールダーのボールダー劇場で1996年3月6~7日に開催したコンサートのライブ録音で、2002年になってリリースが実現した。パーソネルはティム・オブライエン(マンドリン&フィドル)、ニック・フォルスター(ベース)、チャールス・ソウテル(ギター)、ピート・ウァーニック(バンジョー)の4人。ホット・ライズは1978年に結成されたバンドだが、80年代を通じて常にプログレッシブな活動を続けたが、その凱旋コンサートと呼べるもので、アルバムタイトルがそれを象徴している。全体的に端正で調和の取れた演奏、ライブとは思えない高度なテクニックを随所に聴くことができる。ギタリストのチャールス・ソウテルが1994年に白血病で診断され、結局骨髄移植の複雑化から1999に他界したのだが、その追悼盤としての意味合いも含まれているようだ。ティム・オブライエンのボーカルとマンドリンは、所謂ブルーグラスというカテゴリを越えたものを感じさせるが、そのフィドルは何故か伝統を強く感じさせるものがあって興味深い。

Tim O'Brien Traveler
Tim O'Brien
Sugar Hill, 2003
ASIN: B0000ALFYW

ウェストヴァージニア州ウィーリング出身のティム・オブライエンは12歳でビートルズの洗礼を受けている。テレビでドク・ワトソンを見た彼はフラット&スクラッグスのインストルメンタルアルバムを購入、ブルーグラス音楽への道を歩み始める。文学を学ぶためにメイン州の大学に進んだが、英国の古典詩 "Beowulf" を読むことができないことに驚愕、学業を断念する。やはり音楽だと痛感した彼は大学を去り、再び旅に出た。コロラドを経てシカゴに到達したのは19歳のときだった。そしてアーロ・ガスリーがカバーして有名になった "City of New Orleans" の作者スティーヴ・グッドマンと出会うのである。1978年にはバンド "Hot Rize" を結成することになる男と邂逅する。彼らは6枚のアルバムを制作、この20年で最も尊重されたブルーグラスグループのうちのひとつになるのである。その後の軌跡なぞると、それは伝統の重視と、進取の気風の均衡そのものだといえる。ボブ・ディランのカバーをしながら、一方ではチャールズ・フレーザーの小説を映画化した『コールドマウンテン』では、アイルランド、スコットランドおよび英国の移民が、1700年代にノースカロライナなどのアパラティア山系に持ち込んだ音楽の蘇生に成功したのである。このアルバムはそのタイトル通り、オブライエンがまだに旅人であることを宣言したものだ。ブルーグラスを通じた歴史への回帰、そしてそこからの新たな旅立ちを具現化している。

Duets
Emmylou Harris
Warner Brothers, 1990
ASIN: B000002LFQ

エミルー・ハリスにはデュエットが似合う。1990年にリリースされたこのアルバムは、男性シンガーとのデュエットを集めたものだ。しかし共演者が凄い。グラム・パーソンズ、ロイ・オービソン、ニール・ヤング、ジョン・デンバー、リッキー・スキャッグス、ウィリー・ネルソン、などなど。その顔ぶれの凄さ。そしてこの事実は彼女が、ブルーグラスやカントリー、ロックなどの壁を乗り越えたシンガーであることを証明している。私としては最後の曲 "Evangeline" が懐かしく思い出される。エミルーは1947年アラバマ州バーミング生まれだが、この曲が収録されたのは1976年。ロビー・ロバートソンが率いていたザ・バンドの映画『ラスト・ワルツ』出演のためだった。可憐さを残しながら、ギターを弾きながら歌う彼女の姿が脳裏にやき付いて今でも離れない。

Car Wheels on a Gravel Road
Lucinda Williams
Mercury, 1998
ASIN: B000007Q8J

ルシンダ・ウィリアムスは1953年ロサンジェルスのレークチャールズで生まれた。多くのミュージッシャンがそうであるように、彼女もまた少女期の家庭環境が大きな影響を与えている。父親はデルタ・ブルーズとハンク・ウィリアムズを愛する文学教授、そして詩人だった。そして母親を通し、ジョーン・バエズやボブ・ディランの歌に触れることになったのである。一家は父親の仕事の関係で、ルイジアナ、ミシシッピ、ジョージア、アーカンサスと転々とする。ニューオリンズに移住したころ、彼女はフォークソング活動を開始したのである。1969年に忠誠の誓いを拒否して高校を退学しているのも特筆すべきであろう。 1974年、スミソニアン・フォークウェイズに送ったデモテープで録音の機会を得る。79年に待望のアルバム "Ramblin'" がリリースされるが、それはブルー、カントリー、フォーク、そしてケイジャンといった伝統音楽を踏まえたものだった。以降、彼女の姿勢は一貫したものがあるといって間違いないだろう。それは斬新なスタイルの中に、通奏低音としてのアメリカンルーツ音楽が脈々と流れていることである。このCDは1998年にリリースされたもので、グラミー賞の最優秀コンテンポラリー・フォーク・アルバムを受賞した珠玉の作品集である。

Songs of Jimmie Rodgers
A Tribute
Various Artists
Sony, 1997
ASIN: B000002BLD

ジミー・ロジャースはミシシッピ州メリディアンに1897年に生まれ、1933年に結核で35歳でなくなるまで、約110曲の名曲を残したカントリー音楽の偉大なる巨人だ。1927年、辣腕ディレクターのラルフ・ピアの要請でRCAのために彼の最初の録音をテネシー州ブリストルで行ったが、このセッションはカーター・ファミリーとともに歴史的なものとなった。このCDはそのジミー・ロジャースに捧げられたトリビュートで、ボブ・ディランが企画したものだ。ライナーノーツの冒頭で、歌の世界における20世紀の光明であるという意味のことを書いている。そのディランやボノ、ヴァン・モリスンなど、まさに21世紀への橋を渡ったビッグアーティストがこのアルバムに参加している。アリソン・クラウスやウィリー・ネルソンなど、カントリー畑のミュージッシャンはジミーのスタイルを継承しているといえるし、逆にデュワイライト・ヨーカムなどはやや独自の解釈をしているといえる。しかしいずれのミュージッシャンも、単なるカバーに終わらず独特のスタイルで歌い演奏している。偉大な先人に対する並々ならぬ畏敬の想いが伝わってくる。

Timeless
Hank Williams Tribute
Various Artists
Uptown/Universal, 2001
ASIN: B00005O6NY

1953年に若干29歳でこの世を去ったハンク・ウィリアムスは、不世出の天才シンガー&ソングライターだった。その後のシンガーや作詞作曲家に与えた影響の計りしれないし、スターダムのスターダムたる所以を人々に認識させ、まさにカントリー音楽への永遠の伝説を作り上げた歴史的事実と、どれをとっても記述しがたい大きさを持っている。このCDはそのハンク・ウィリアムスへのトリビュート盤で、ボブ・ディラン、シェリル・クロウ、KEB' MO'、ベック、マーク・ノップフラー、トム・ぺティ、キース・リチャーズ、エミルー・ハリス、ハンクIII世、リアン・アダムス、ルシンダ・ウィリアムス、ジョニー・キャッシュが参加している。それぞれのミュージッシャンが聴き慣れた歌を独自の解釈で歌っているが、それぞれの魅力ある歌唱が、時代を乗り越えていかに優れた曲であったかということを再認識させてくれる。それぞれの演奏スタイルの多様さは、逆に今日ある音楽の芳醇さを逆照射しているといえる。瓜二つでハンクの生まれ変わりと囁かれているIII世が比較的伝統的なアレンジで歌ってるのが好ましい。裏声のヨーデルに涙がこぼれそうになった。

Dust Bowl Ballads
Woody Guthrie
Buddha, 2000
ASIN: B00004TY8S

ウディ・ガスリーは1912年、オクラホマ州オキーマーに生まれた。14歳のときに家族が離散し、折からの大恐慌時代、ジョー・ヒルのような放浪生活を始める。まさにスタインベックの『怒りの葡萄』にオーバーラップする。ヒルビリー音楽の演奏者としてラジオで人気を獲得、糧を得るようになるが、やがて自分の体験を元にした反体制のトピカルソングを書き始める。それは常に虐げられた民衆、労働者の立場に立ったものだった。オクラホマの砂嵐の避難民をテーマにした彼の曲に注目したのが議会図書館民謡資料室のアラン・ロマックスであった。ロマックスはインタビューを含めたガスリーの録音を残している。このCDは1964年にリリースされたLPが元になっている。オリジナルは1940年にRCAヴィクターがニューヨークで録音した音源で、これは3枚のSP盤で構成され、ガスリーにとって最初に成功した商業的レコードであった。LP化に際してはロマックスが同じ年にニュージャージー州のカムデンのスタジオで録音した曲が追加された。ピート・シーガーらに強い影響を与えたレコードで、その精神がランブリン・ジャック・エリオット、ボブ・ディラン、トム・パクストン、ジョーン・バエズなどの「ガスリーズ・チルドレン」たちに継承されたのである。

Elvis:Great Coutry Songs
Elvis Presley
RCA, 2003
ASIN: B00007L4RK

数々の信じがたいヒットを飛ばしたエルヴィス・プレスリーの面影は、今に至っても何百万ものファンがメンフィスへの巡礼を続ける原動力になっている。ボブ・ディランなどに大きな影響を与えたロックの巨星のデビューはカントリー歌手としてであった。サン・レコードに吹き込んだ最初の曲はアーサー・クラッドアップの "That's All Right" とビル・モンローの "Blue Moon of Kentucky" だった。最初のヒットは1955年にリリースされた "I Forgot to Remember to Forget"で5週に渡ってカントリーチャートの上位を占めた。1956年3月に発表された "Heartbreak Hotel" はカントリーの範疇を超え、ポップ音楽のスターダムに彼をのし上げたのである。エド・サリヴァンのショーなどテレビ界にも進出、やがてハリウッド制作のスクリーンにも登場するようになった。と同時に彼は国家的悪評の標的にもなった。徴兵でドイツに駐留、除隊後に復帰するが、これは映画 "G.I. Blues" となって結実する。全米のティーンエイジャーの心を捉えて離すことがなかったエルヴィスの伝説は1977年、42歳の死を迎えるまで生き続けることになった。このCDは上記ビル・モンローのほかに、ハンク・ウィリアムス、ウィリー・ネルソンなどが作った珠玉のカントリー24曲が収められている。1955年から76年にかけての録音で、5曲が初公開。

Last Waltz
The Band and Various Musicians
Director: Martin Scorsese
20th Century Fox, 2002
ASIN: B00006JIKN

1976年、サンフランシスコのウィンターランドで開かれたロビー・ロバートスン率いるザ・バンド解散コンサートのドキュメントフィルム。制作は「タクシードライバー」で一躍有名になったマーティン・スコセッシ監督。ロバートスンの冒頭の言葉「始まりの終わり、終わりの始まり」はラングスト・ヒューズの詩を借りたものだろう。ロックはブルースやカントリー、ブルーグラスなどがメンフィスのリズムと融合してできた。ティンパン・アレーとは程遠いところから始まり、地を這い大衆の心を捉えた。しかしやがて強大な資本に巻き込まれてトーテム・ボールのてっぺんにまで上ってしまったのである。「ロード(ツアー)は学校だったけど、多くの人たちが死んでいった。ハンク・ウィリアムズ、オーティス・レディング、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス、エルヴィス…。こんな生活は続けられない」・・それがファイナルコンサートへの決意だった。ヴァン・モリスン、エリック・クラプトン、ニール・ヤング、ポール・バターフィールドなどなど豪華なゲストを交えてコンサートは展開する。そしてそれはボブ・ディランの "I Shall Be Released" で最高潮に達する。しかし私はなぜかリック・ダンコ、レヴォン・ヘルムと一緒に "Evangeline" を歌うエミルー・ハリスの姿が瞼に残って忘れられない。

Folks, He Sure Do Pull Some Bow!
Vintage Fiddle Music 1927-1935
Blues, Jazz, Stomps, Shuffles & Rags
Various Artists
Old Hat, 2001
ASIN: B000058TAS

1927年から35年にかけて商業レコードに記録された黒人ミュージッシャンによる貴重なフィドル曲集。副題の通り、ブルース、ジャズ、ストンプス、シャッフル、そしてラグが集められている。レコードの黎明期にはミシシップ・デルタ・ブルースのロバート・ジョンスンという巨人が現れ、彼のギターは後のリズム&ブルースの伏線となった。しかしニューオリンズのディキシーランドジャズに象徴されるように、四弦バンジョーを例外とすれば、使われたのはブラスバンドのそれであって、弦楽器の影は薄かったといえる。ところがこのCDを聴くと、戦前には驚くほどフィドル(ヴァイオリン)がブルースやジャズと密接な関係にあったかということを再認識される。ジャズがシカゴに移っても、その主役は管楽器だったという固定概念が私たちにないだろうか。ビッグ・ジョー・ウィリアムズ、ピーティ・ウィートストロウ、フランクス・トークス、L・ジョンソン、ビッグビル・ブルーンジーなどの名演奏など24曲を収録。ビンテージ写真を含む非常に有益な32ページの小冊子がついている。ブルースやジャズの歴史に興味ある人は無論、フィドル音楽ファン必携の一枚といえる。

Gu-Achi Fiddlers
Gu-Achi Fiddlers
Canyon, 1998
ASIN: B00000139O

パパゴ族として知られている南アリゾナの "Tohono O'odham" (砂漠の民の意) はスペインのカトリック宣教師からヴァイオリンを習います。19世紀中ごろ、彼らはポルカ、マズルカ、ショティッシュおよびカドリールなどの新しいダンスリズムを取り入れ、独特のフィドル音楽を作り上げる。古くからあったメキシコの地域などの儀式ダンスに新しいヨーロッパのダンスを融合させながら自らの民族性を加味したもので、楽器編成も極めて簡素なものである。ところがこのネイティブアメリカンの芳醇なフィドル音楽も次第に衰退の運命を辿ることになってしまった。しかし1984年に始まったフィドルコンテストによって失われた芸術への関心が再燃します。このCDは1988年に録音されてカセットテープになったものを復刻したものだ。演奏はアリゾナの町にちなんで "Gu-Achi" と名づけられたグループ。パーソネルは、レスター・ヴァガゲス、エリオット・ジョンソン(フィドル)、ジェラルド・レオ(スネアドラム)、トミー・レペツ(バスドラム)およびウィルフレッド・メンドサ(ギター)。ネイティブアメリカンによるユニークなサウンドはフィドル愛好者を満足させるに違いない。

Fiddle Book by Marion Thede
Marion Thede
Music Sales Corp, 1967
ISBN: 0825601452

オクラホマ大学でヴァイオリン演奏を学んだ著者のマリオン・シードは、1928年にオクラホマ州アモリタで教鞭をとり始めた。赴任後すぐに彼女は素晴らしい演奏をするオールドタイムフィドラーたちと遭遇するが、彼らの音楽を分析し記録することがライフワークになった。フィドル奏法に関する彼女の興味は広い地域に渡ったのだが、基本的にはオクラホマが中心だった。彼女が採譜したフィドルチューンは、1967年に「フィドルの本」としてニューヨークのオーク出版から上梓された。収録曲が150以上に及んだこの曲集はアメリカン・フィドルの古典的参考書としてベストセラーとなり、多くのミュージッシャンや愛好家に多大な影響を与えた。アメリカンフィドルに関する名著中の名著で、ペーパーバックス版が入手可能である。なお、表紙に写っているフィドラーはフィドリン・ビル・ヘンズリーで、1937年、ノースカロライナ州アッシュビルで開催されたフィドラーズ・コンベンションで画家のベン・シャーンが撮影したものである。シャーンは写真家としても知られ、大恐慌時代にFSA(米国農業安定局)に雇われ、農民の生活を記録するプロジェクトに参加した。原板は35㎜でワシントンDCのLOC(米国連邦議会図書館)が保存している。

アメリカン・ルーツ・ミュージック
楽器と音楽の旅
奥 和宏
音楽之友社, 2004
ISBN: 4276330858

映画『Songcatcher-歌追い人-』や『オー・ブラザー』などによってアメリカのルーツ音楽がブレイクした。帯に印刷された「アメリカ音楽はアイルランドからやってきたのか?」という文字にちょっとドキっとする。多民族国家アメリカの文化は多種多様で、なにをもってアメリカ音楽と定義する必要があることは言うまでもない。カントリーやブルーグラス音楽に関しては、そのルーツとしてアイルランドからの移民が持ち込んだ音楽を挙げることができる。このことは確かにひとつの重要な要素ではある。確かに東南部山岳地帯のアパラチアに入植した人々はアイルランド出身者が多い。しかし彼らの祖先はスコットランドのローランドから北アイルランドのアルスターに追いやられた民であった。といった何気ない部分から本書は私たちの誤った思い込みを正してくれる。アメリカ音楽はアメリカーナの融合体であり、さまざまな民族の音楽的潮流が混ざり合って出来上がったものなのである。バンジョー、フィドル、マンドリン、ギター、ドブロなどの特有の楽器奏法についてマニアックかつ楽しい解説を加えた本書は、アメリカのルーツ音楽の優れた入門書である。

Group Hoedown
Fiddle Musuc